先日、ある製造業の社長さんとお話していて、胸にずしんと来る一言があったんです。
「池田さん、これね、ずっと赤字なんですよ。でも10年前にうちしか作れないって言われて、先代が設備に1億突っ込んだんです。今やめたら、あの1億がぜんぶ無駄になる気がして」
金額を聞いた瞬間、私は言葉に詰まりました。気持ちは痛いほどわかるんです。先代が汗水たらして借りたお金で入れた機械。社員さんたちは今日もその機械の前で仕事をしている。それを「もうやめます」と言うのは、経営者として、人として、簡単な話じゃありません。
私は元銀行員(法人融資担当)で、いまは中小企業診断士として、山梨で経営改善のご相談に乗っています。融資の現場でも顧問先でも、この「撤退できない」という壁に何度も立ち会ってきました。そこで冷静になって考えないといけないことがあります。その1億円は、やめてもやめなくても、もう戻ってこないということです。経営判断として重要なのは、過去にいくら使ったかではなく、これから先、毎月プラスが出るのかマイナスが出るのか、ただそれだけなんですね。
すでに使ったお金は、判断材料から外す
経済学に、サンクコスト(日本語で埋没費用)という概念があります。行動経済学のプロスペクト理論(カーネマンら)によれば、人は同じ金額でも、手に入れる喜びより失う痛みを約2倍強く感じるそうです。だから「1億円の設備をムダにした」と認めるのが怖くて、毎月の赤字を垂れ流してでも続けてしまう。
同じことは、顧客との関係でも起きます。クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』が描いた通り、中小企業では「長年の取引だから」「お得意様に申し訳ないから」という情が、いちばん利益の出ない事業を延命させてしまうのです。
これは中小企業だけの話ではありません。大企業ですら、投じた資金を捨てる決断には時間がかかります。ホンダは2026年3月に次世代EV「0(ゼロ)」シリーズなど3車種の開発中止を発表して最大2.5兆円もの損失を計上し、トヨタも同年5月に次世代セダン型EVの開発中止に踏み切りました。何百人もの人が動き巨額を投じた案件でも、見込みが変われば畳む。大企業でさえそうなのですから、先代が手塩にかけた事業を畳むのが難しいのは当たり前です。でも、畳めなければ会社がもたない。傷口を広げ続けることの方が、ずっと怖いのです。
撤退判断は、3つの物差しで数字にする
そこで私が顧問先にお勧めしているのが、製品やサービスを「営業継続性」「製造生産性」「部品調達性」の3軸でABCランクに分ける方法です。
営業継続性は、この取引先が3年後も発注してくれそうか、そもそも取引先自身の経営が健全か。製造生産性は、1時間あたりいくら稼いでいるか、段取り替えの手間は引き合うか。部品調達性は、原材料が今の値段で入り続けるのか、サプライヤーの状況はどうか。
この3つをA・B・Cで評価して、全部Cなら即撤退候補、2つCなら要観察、1つCなら価格交渉の余地あり、という具合に、社長の情ではなく数字で線を引くんです。1品目30分あれば埋まります。
紙に書くと、たとえばこんな一枚になります(数字は想定例です)。
| 品目(想定例) | 営業継続性 | 製造生産性 | 部品調達性 | 総合 |
|---|---|---|---|---|
| 定番A(長年の主力) | A | B | A | B |
| 特注B(一社依存) | C | C | B | C |
| 旧型C(先代からの製品) | C | C | C | C |
Cの付け方に、絶対の合格ラインがあるわけではありません。目安は「自社の平均と比べて下位3割に沈んでいるか」。たとえば製造生産性なら、全品目の時間あたり粗利を並べてみて、下から3割に入る品目にCを付ける。この相対の見方にすると、社長の情に引っぱられずに線が引けます。
そして、総合評価Cの製品については「2〜3年以内に改善の目処が立たなければ、ラストバイ(最終購買)を取引先に通知する」と期限を決めてしまう。期限を切らない撤退判断は、ほぼ間違いなく先送りになります。これは過去10年以上、現場でたくさん見てきた私の実感です。
ある製造業の経営者さんは、この3軸評価をやってみて、売上の15%を占めていた旧来製品がじつは利益でマイナス8%を食っていた、と気づきました。同じ人員と機械で別の案件を受ければ、年間800万円の改善効果がある計算です。数字を見たその日に、社長と役員と現場リーダーで会議を開いて、2年後にラストバイと決めた。社員さんたちも、感覚的に「きつい仕事だよね」と思っていたから、むしろホッとしたそうです。
もうひとつ印象的だった事例があります。ある印刷会社さんでは、月に数万円しか売上が立たない小ロットの常連客が20社くらいあって、それぞれが「昔からの付き合い」で値上げもできずに続いていました。ABCを付けたら、そのうち12社が総合C。思い切って「来年から5%の値上げをお願いします、難しい場合は他社さんをご紹介します」と伝えたところ、8社が値上げを受け入れ、4社は他社に移り、結果として年間で約150万円の粗利改善になりました。社長さんは「怖かったけど、言ってみたら意外と残ってくれた」とおっしゃっていました。
もう一つ、撤退を決める前に必ず見ておきたいのが、「やめるのにもいくらかかるか」です。事業を畳むにも、在庫や仕掛品の処分、取引先との契約を途中で切る際の違約金、借りていた設備や店舗の原状回復、そこで働いていた人の配置転換と、こうした撤退コストが必ずついてきます。「続ければ毎月マイナス50万円、でも畳むのに一時金で300万円」なら、その300万円を何か月で取り戻せるかまで含めて判断する。やめる痛みも数字にしておくと、決断したあとで「こんなはずじゃなかった」が減ります。
明日からできる、3つのアクション
いきなり撤退判断なんて重たい話はできない、と思うかもしれません。そこで、今日の業務が終わったあと、次の3つを手元の紙に書き出すだけでも、見え方が変わります。
ひとつ目、主力の製品・サービスを5つから10個挙げて、さっきの3軸でA・B・Cを付けてみる。感覚で構いません。付けてみると、社長の頭の中で「ヤバいと思ってたのは、やっぱりヤバかった」がはっきりします。
ふたつ目、過去に入れた設備や人件費を、判断の紙には一切書かない。埋没費用は思考から追い出す、というトレーニングです。書くのは「これから先、1年でいくら稼ぐか・いくら出ていくか」だけ。このルールを守るだけで、判断のブレがだいぶ減ります。
みっつ目、Cランクの事業には、必ず期限を書く。「2027年3月まで」のように日付で切る。期限のない改善計画は、ほぼ改善されずに終わります。そして期限が来たら、良し悪しの結果を必ず数字で確認する。この1回転を作ることが、会社の筋肉を変えていきます。
よくある質問
赤字事業は、いつやめると判断すればいいですか?
「これまでいくら投じたか」は判断から外し、「これから先、毎月プラスかマイナスか」だけで見ます。そのうえで製品・サービスを営業継続性・製造生産性・部品調達性の3軸でABC評価し、総合Cには「いつまでに改善しなければ撤退する」という期限を日付で決めます。期限を切らない判断は、ほぼ先送りになります。
埋没費用(サンクコスト)は、どう扱えばいいですか?
すでに使ったお金は、やめてもやめなくても戻ってきません。だから判断材料から完全に外します。人は損を約2倍痛く感じるため、「ムダにしたくない」気持ちが赤字の延命を招きます。判断の紙には過去の投資額を一切書かず、これから1年で稼ぐ額と出ていく額だけを書くと、ブレが減ります。
「撤退」と「縮小(一部撤退)」は、どう違いますか?
撤退はその事業から完全に手を引くこと、縮小(一部撤退)は赤字の品目・顧客・拠点だけを絞り込んで、採算の合う部分は残すことです。3軸評価で総合Cが一部にとどまるなら、全部をやめる前に「赤字の品目だけをラストバイに回す」「小口の不採算客だけ値上げか卒業を打診する」といった部分撤退で、足元の出血を止められることが多い。まず縮小で採算ラインを見極め、それでも改善の目処が立たなければ撤退、という段階で考えると、判断を誤りにくくなります。
撤退は敗北じゃない。次の一手への資源配分
最後に、いちばん大事な話を。撤退というと「負けを認める」ようなニュアンスがありますが、実際はそうじゃないんです。限られた資金・人・時間を、これから伸びるところに振り直す、という前向きな資源配分の話です。会社は、続ける勇気と同じくらい、やめる勇気で強くなります。
大企業ですら、数千億円を捨てる判断を迫られる時代です。情報の流れる速さも、お客さんの移ろいも、昔とは比較にならないくらい早くなっています。そんな時代に「先代の代からやっている」という理由だけで赤字事業を続けるのは、いちばんありがたくないタイプの親孝行になってしまうかもしれません。
もうひとつ付け加えると、撤退の決断そのものは、やはり社長が下すものだと私は考えています。数字を役員や現場リーダーと共有し、現場の実感を聞くことは大切ですが、最後に「やめる」と腹をくくり、責任を負うのは社長にしかできない仕事です。多数決で決めたり、誰かに委ねたりするものではありません。
そのうえで大事になるのが、決めたあとの社員への伝え方です。なぜやめるのか、その判断の裏にどんな数字と理由があったのかを、社長自身の言葉でていねいに伝える。ここを省くと、現場には「見捨てられた」という空気だけが残ってしまいます。逆に、理由がきちんと伝われば、社員さんのほうから「正直、きつい仕事だと感じていた」と腹落ちしてくれることも少なくありません。決断は社長が引き受け、伝え方はていねいに。これが、撤退を次の一手につなげるコツだと思っています。
社長、今夜、紙とペンだけ用意してみませんか。A・B・Cを付けるだけなら、10分で終わります。その10分が、来年の決算書の表情をがらっと変える可能性が、けっこうあるんですよ。
「畳むかどうか」の前に、まず「いくら売れば生き残れるか」を押さえたい方は、固定費から逆算する生存売上の出し方をどうぞ。残す事業の値段を見直すなら、値段はコストから決めるものじゃないもあわせて。撤退や縮小の判断を数字の計画に落とし込むところまで進めたい方は、経営改善計画書の書き方も参考になります。
赤字事業の整理や経営改善計画でお悩みの方は、お気軽にご相談ください。元銀行員・中小企業診断士・認定経営革新等支援機関として、数字と現場の両面からお手伝いします。